『正法眼蔵』における論理
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概要
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仏教,特に禅宗に関しては,非論理性をもってその本質とし,その言語的表現の理解の困難は医想的体験の深化によってのみ超えられるとする考えがある。本考は,『正法眼蔵』の基底に,一つの「道理」,すなわち,「修することと証することは,いずれも同じ一つの出来事の異なるアスペクト(錯々)にすぎないがゆえに,必然的に互いに他に転じる(錯転する)その威力によってのみ,みずからのリアリティを実証しうる」ということを「道理」とする理解が見出されることを示す。
- 弘前大学の論文
著者
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