デカルトにおける真理の記号
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概要
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「表現」と「記号」に関する考察の一環として,デカルトの『省察』における「実理の記号」と「真理の規則」の関係が論じられる。あらゆる「規則」は命令ないし禁止を含む。必然を命じ,不可能を禁じることは無意味である。作為と不作為のいずれもが「自然」においては可能な諸行為の中から,一定の事態の実現を期して,或る行為が命じられ他の行為が禁じられるのでなければならない。明噺かつ判明に知覚されたものを真であると確信することが精神の「自然」において必然であれば,「確信せよ」と命じることも「確信するな」と禁じることも無意味である。明噺かつ判明に知覚されたことが想起されているにすぎないなら,其であると確信することは精神の「自然」において必然でない。精神に現前しているのは「真理」そのものではなく「真理の記号」にすぎないからである。この記号の「意味」を「実理の規則」が規定し,その「確実性」を「神の認識」が保証している。
- 弘前大学の論文
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