M.ハイデガーにおける有限な時間と無限な時間
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概要
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ハイデガーによれば,日常性のうちに退落して有るかぎり,ひとが,「自己の時」,「わたしの時」と言いうるような,ある特異な時間を見出すことは,徹頭徹尾,不可能である。したがって,原理上「終わりのない時間」のうちに,ある特異な,「終わりの時」を見出そうとする(いわば「終末論的な」)企ては,滑稽なまでに絶望的であることだろう。しかしながら,無限な時間系列には原理上位置づけられえない根源的な「終わりのある時間」において,みずから自己の「終わり」へと本来的に関わって有ろうとする(いわば「運命論的な」)決意も,また,哀れなまでに空虚であることだろう。もし,派生的な時間から根源的時間への通路が閉ざされているのであれば,同時に,根源的時間から派生的時間への通路も,また,閉ざされているのではないだろうか。以下,本来的な「終わりのある時間」から,非本来的な「終わりのない時間」を,一方向的に派生させようとするハイデガーの企てが検証される。
- 1999-03-30
著者
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