明治後期の地方銀行と景気変動 : 河内地方を中心として
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
日清戦後,新たな局面を迎えた日本資本主義は,企業勃興に伴い全国的に数多くの普通銀行を生み出した。河内地方でも,明治18~33年にかけて小規模な普通銀行の濫設をみた。設立資本・店舗網・営業地盤どれをとっても,銀行と地域社会との結びつきが強く,銀行経営は地域的独自性を発揮しつつ展開された。一般的な景気変動と地域的な経済動向に対する抵抗力は,銀行により区々であったが,明治後期,弱小銀行の整理過程は若干進行した。結果的にそれは,明治33~4年金融恐慌以後の政府の,銀行合同政策推進の路線に合致するものであったことは当然である。In the Meiji period, strictly speaking from 1885 to 1900, it was fourteen commercial banks on a small-scale, i.e. country banks that were established in the Kawachi district. Being in close connection with the region, they were operated with local characteristics. Under various influences of financial panics brought on repeatedly in those days, six banks ceased to exist by the last year of this period (1911). Thus, this article is to investigate the development of country banks and the influence of business cycle upon them.
- 大阪教育大学の論文
著者
関連論文
- 淀川低地高槻藩領の水利普請
- 明治・大正期高利貸付資本の一考察
- 近世の越石慣行
- 近世部落の人口動態と村落構造
- 過疎 : 島根県飯石郡吉田村を中心として
- 明治後期の地方銀行と景気変動 : 河内地方を中心として
- 近世寒天業の賃労働者