ヘア説と意志の弱さの問題
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概要
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現代イギリスの代表的な倫理学者のひとり、ヘアR.M.Hare(1919-)の説はいっぱんに指図主義(Prescriptivism)といわれ、メタ倫理学の領域においてきわめて重大な影響力をもつものとみられる。ヘアの主著『道徳の言語』(The Language of Morals, 1952, 以下LMと略す) および『自由と理由』(Freedom and Reason, 1963, 以下FRと略す)がでてから、この説について多くの議論がなされ、問題点が次第に明らかにされてきた。ヘア説によっては十分説明しつくされていない問題点のひとつとして、意志の弱さの問題があるが、とくにこの問題がとりあげられて論じられる場合がある。「ある行為を行なうべきであるが、行なわない」とか「悪いと知りつつ行なう」といったいわゆる意志の弱さ,もしくは道徳的弱さといわれる事柄について、ある種の倫理学説によれば、この事柄そのものが否定されることがある。しかしながら、少し反省してみるならば、意志の弱さはわれわれの道徳生活において決して無視しえない事実であると思われる。この小論は、ヘア説にそくしながら、意志の弱さの問題に対するヘアの見解を紹介し、検討をくわえ、さらにヘア説そのものの問題点をみようとする試みにすぎない。The two central theses of Hare's ethical theory are universalizability and prescriptivity of moral principles. The strain between universalizability and prescriptivity in certain situations is so great that we find there the phenomenon of moral weakness. The phenomenon is explained by Hare either as backsliding from universalizable prescriptives, or as inability in some sense. The function of moral principles is to guide conduct, while moral principles themselves are to be applied in actual situations; and we must make a moral decision before we act. So there is a gap between moral principles and actions. In this gap we find hypocrisy and self-deception on the one hand and moral weakness on the other hand. And further, moral weakness will arise from the moral dilemma that the universalizability thesis and the prescriptivity thesis are incompatible each other.
- 大阪教育大学の論文
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