指図主義 対 新自然主義 対立から総合へ
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概要
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指図(さしず)主義(prescriptivism)の主唱者であるR.M.ヘアは最近道徳的思考を二つのレヴェルに分け,それによって主として直覚主義と功利主義との総合をはかっている。しかしヘアが二つのレヴェルを認めるに至った経過にはこの問題だけではなく,新自然主義者との永年にわたる対決が秘められていると考えられる。しかしながら,この対決については二層理論(two-tier theory)そのものの中では,ほとんど触れられていない。本稿は新自然主義(neo-naturalism)との対決がヘアの二層理論の展開に対して決定的な誘因になったとする観点から,指図主義と新自然主義の対立を検討しようとする試みである。敘述は次の順序でおこなわれる。Ⅰ.R.M.ヘアの指図主義Ⅱ.P.T.ギーチの批判Ⅲ.P.フットの批判Ⅳ.J.R.サールの批判Ⅴ.対立から総合へまず記述主義に対立する意味での指図主義の特色を簡単に紹介してから,次に記述主義者(ここでは新自然主義者)の陣営からの指図主義に対する主な批判をとりあげる。代表的な批判は,P.T.ギーチ,P.フット,J.R.サールの三者によるものであるが,これら三者の批判のそれぞれについて,指図主義の側からの反論を挙げる。最後に指図主義と新自然主義の両者を総合する立場から,両者の妥当する範囲を考察する。Among the critics on Hare's prescriptivism are neo-naturalists such as P.T.Geach,P.Foot and J.R.Searle.Of Hare's prescriptivist thesis the main points they attack are:(1)It is logically possible to separate the descriptive and the evaluative meanings of a moral judgement.(2)Speaker's choice is a condition for the use of moral terms.(3)No imperative conclusion can be drawn from the premises which do not contain at least one imperative.Claryfying the nature of the controversies between both camps,I try to argue that the condition on which doth based their contentions belongs to different dimensions;that is,each contetnion has its own rights:each can claim its own justification on the intuitive and the critical level of moral thinking.I think that the controversy with the neo-naturalists,no less than with the intuitionists,induces Hare to his 'two-tier theory'.
- 大阪教育大学の論文
- 1985-08-31
著者
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