ルネサンスにおける《力》としての人間観の誕生 : レオナルドとマキアヴェッリの場合
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概要
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ルネサンスの自然科学と人間科学の創始者である二人の巨人、レオナルド・ダ・ヴィンチとニッコロ・マキアヴェッリが友人どうしであったことは、よく知られている。そして、この異なった二つの分野の科学者を出会わせ、結び付けたのは、戦争であった。両者の初めての出会いは、1502年6月、ウルビーノを占領して、さらにエミリア・ロマーニャ地方を席巻しようとしていたチェーザレ・ボルジアの陣営においてであった。この時レオナルドは、ヴァレンティーノ公の《軍事技術総監督》としてつねにこの君主に付き従っており、マキアヴェッリもフィレンツェ共和国の派遣委員としてチェーザレの軍隊に随行しながら、この典型的なルネサンス君主の言動を観察し続けたのである。さらに1503年、レオナルドがチェーザレのもとを離れてフィレンツェに戻った時、この二人を再会させ、さらに強い友情で結び付けたのも、やはり戦争であった。この時期フィレンツェはピサ攻略に躍起となっていたが、なかなかうまく行かなかった。そこでマキアヴェッリはレオナルドと協力して、きわめて大胆かつ野心的な作戦を実行に移そうとした。それは、ピサ市内を流れるアルノ川をその上流で遮断し、何本かの運河を掘って水を別の方向に流し、ピサを干上がらせようという実に壮大な作戦である。しかしながら、この企てはあまりに費用と時間がかかりすぎたために、結局は中止されてしまうが、大自然の流れを変えるという神を恐れぬアイデアは、いかにもこの二人のルネサンス人らしい発明心と挑戦心を示して余りある。それだけではない。この二人は自然力、とりわけ水の破壊力の軍事利用というアイデアに取り付かれていた点でも、共通している。たとえばマキアヴェッリは、『フィレンツェ史』の一章を割いて、建築家ブルネレスキの水力を利用した城攻めのエピソードを紹介している。1430年の対ルッカ戦の折に、この高名な建築家は、ルッカ市の近くを流れるセルキオ川の水を、運河によってその都市の方に向かわせ、堰を切った水の勢いでその城門を突き破って、市内を水浸しにしいようと企てた。しかし不運なことに、この奇想天外な作戦は敵の察知するところとなり、逆に敵の計略によって味方の陣営が水浸しにされるという大被害を蒙ったという。これは先に述べた対ピサ作戦とは逆の水の使い方であるが、マキアヴェッリはその作戦の失敗を揶揄しながらも、その大胆で才気あふれるアイデアには賛辞を送っている。一方、レオナルドも、このブルネレスキの水力利用作戦に強い関心を寄せていた一人である。その証拠には、彼はパリ手稿Bの中で、ブルネレスキがこの作戦の際に考案した堰の開閉装置を詳しく図解しているだけでなく、この先輩技術者の向うを張って、堰を利用した軍事作戦を実際に提案している。それは、彼がチェーザレ・ボルジアに仕える二年前、ヴェネツィア共和国の依頼でオスマン・トルコの脅威にさらされていたフリウリ地方を視察した時のことである。彼は国境近くを流れるイゾンツォ川にいくつかの堰を設け、敵が渡河する時を狙って一斉に放水して、その洪水の力で敵軍を殲滅する構想を提出したのである。さらにそれだけではない。レオナルドとマキアヴェッリの水をキーワードにした結び付きは、軍事面だけにとどまらず、彼らの自然観や人間観にまで及んでいるようである。そのことを窺わせる一例を挙げよう。レオナルドがミラノ時代に執筆したトリヴルツィオ手稿の中には、次のような謎の言葉が記されている。《Salvatico e quello che si salva》。この短文の意味については、さまざまな研究者がさまざまな解釈をして来た。黒田正利氏は「自ら救う者は野蛮なる者なり」という、原文の謎をいっそう深めるような訳をし、マッカーディの英訳から翻訳した足立重氏は「骨惜みするものは野蛮なるかな」と、意味は通るが有難みのない訳をし、杉浦民平氏は「自ら救うものは孤独である」という孤高の境地を歌った《鋭い箴言》と解釈した。しかし、《salvatico》は、人里離れた山や森に住むと信じられていた野蛮人のことであり、レオナルドもジョストラの仮装パレードの趣向でこの種の扮装を考案しているほどに、当時大変人気のあった架空の蛮人である。また《si salva》は、「救われる」とか「助かる」の意味であって、「自ら救う」とか「骨惜みする」と解釈することはできない。したがって、一応の正しい訳は、「野蛮人とは救われる者である」ということになるが、これでは謎を解くどころか、逆に謎が大きくなるばかりである。野蛮人がいったい何から救われ、またなぜに救われるのかが不明だからである。この謎を解く鍵は、このレオナルドの手稿の20数年後に書かれたマキアヴェッリの『ローマ史論』の中に隠れていた。彼はその第二巻の第五章において、《この世界は永遠の昔から存在して来た》と主張する哲学者たちの意見が正しいと
- イタリア学会の論文
- 1993-10-20
著者
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