二点の「岩窟の聖母」の図像とその注文者についての一考察
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概要
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はじめに : レオナルドの「岩窟の聖母」に関しては、先に『日伊文化研究』に発表した拙稿においても取り上げた。そこでは、レオナルドの手稿に見られる光学理論とその時期的な発展のさまを跡付け、その理論が個々の絵画作品の明暗の処理にどのように応用されているのかを詳細に検討した。その結果、ルーヴルの「岩窟の聖母」(図1)で用いられている明暗処理は、1505-10年頃の後期絵画論で表明されている反射光理論なしには考えられないことを指摘し、それゆえルーヴル・ヴァージョンは、彼の第二ミラノ時代(1506-15年)にレオナルド自身の手で着手され、完成された作品であろうという新説を提案した。一方、ロンドン・ナショナル・ギャラリーの「岩窟の聖母」(図2)は、レオナルド作か、彼の指導のもとで弟子たちが描いた作品かで評価の分れている、第一ミラノ時代(1483-99年)のマイナーな作品群とまったく同様に、1492年頃にまとめられた彼の前期絵画論の明暗法理論を忠実に反映していることから、1483年にミラノの聖母懐胎信心会の依頼でレオナルドが着手した祭壇画というのは、むしろこの作品であったと結論付けられる、と私は考えている。つまり、レオナルドの手稿を参照するかぎり、ルーヴル作がオリジナル、ロンドン作はレプリカという美術史の定説は逆転するのである。本稿の目的は、以上の新たな知見の上に立って、この両作品の図像を分析し、それらがどのような宗教的ないし世俗的メッセージを伝達しようとしているのかを考察することである。だが、図像学的考察とは言っても、本稿で扱うのは、非常に限定された基礎的な問題にすぎないことを、まず断わっておかなければならない。つまり、ここでは登場人物たちのポーズと仕草と表情に注目し、その個々の身体表現が何を意味しているのかを明らかにし、ついでこれらの要素どうしが画面内でどのように関連し合い、図像全体としてどのようなメッセージを形成しているのかを具体的に考察することである。そして最後に、二点の「岩窟の聖母」のわずかな、しかし意味深長な図像学的相違点から、その注文者の意向の違いを探り出し、ルーヴル・ヴァージョンの注文者が誰であったのかを推理してみることにしたい。
- イタリア学会の論文
- 1994-10-20
著者
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