ハウスクネヒトが残した中学校教員資格勅令案
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
ここに紹介するのは、その存在が確実視されながら未だ確認できていなかった、E・ハウスクネヒト(Emil Hausknecht, 1853〜1927)作成の中学校教員の資格と国家試験に関する勅令案である。それは、東京帝国大学の外国人教師であった(1887年〜1890年)ハウスクネヒトが品川弥二郎に送った書簡の中で、「江木千之と一緒に作成した勅令案であり、すぐにでも実現して欲しい」と訴えていたものである。彼はドイツにおけると同様に、中学校教員は大学卒業者に対して2度の国家試験を課して選抜し、その地位と経済的待遇とを高める必要性を折に触れ主張していた。しかしこの勅令案では、その一番重要な点において妥協がなされている。それでもすでに存在していた日本の中等学校教員検定制度と比べると、かなり多くの相違点が存在していた。だからこそそれを日本政府に提案する意義があったのである。勅令案には、非妥協の点もあった。重要な点は2点あり、その1点目は、ドイツ流に学術上の検定と実務上の検定とをする2段階検定制を採用することであり、2点目は、予備学として全志願者に教育学・教授学を課すことである。この後者のことは、ヘルバルト主義者としては譲れない点であった。けっきょく勅令案は採用されることなく、ハウスクネヒトは失意のうちに帰国していった。けれどもその後、勅令案に含まれていた事項の多くは、検定制度改革のつど、実現されていった。ハウスクネヒトの主張でついに実現されることがなかったのは、実務の検定と複合科目試験制、上級教員称号制のみであった。しかし、実現されたといっても、それがはたして勅令案の影響によるものであったかどうか、それを肯定あるいは否定する証拠は現在のところまだない。新たな史料の発掘が残された課題である。
- 日本教育学会の論文
- 2000-09-30
著者
関連論文
- 「学制」(明治五年)の教育理念に関する諸問題 : 立身出世、単線型学校制度、『学問のすゝめ』との関係
- 外国人から見た「学制」(明治五年)
- 「文検」の研究(2) : 「歴史」・「国語」の試験問題ならびに受験記の分析
- 「学制」(明治五年)公布の財政的背景 : 文部省定額金問題を中心に(松永俊男教授退任記念号)
- 「学制」(明治五年)をめぐる「受益者負担」論議(山川偉也教授退任記念号)
- 小山 静子・菅井 凰展・山口 和宏 編, 『戦後公教育の成立 京都における中等教育』, 世織書房刊, 2005年3月発行, 四六判, 414頁, 本体価格4,000円
- 桃山学院大学における聴覚障害学生への情報保障のシステム化 : ノートテイクによる支援の検討
- 「学制」前文(明治五年)の再検討
- 日本教育史の研究動向 : 近現代
- 「学制」(明治五年)公布の政治的背景 : 岩倉使節団「約定」問題を中心に
- 「学制」に関する諸問題 : 公布日,頒布,序文の呼称・正文について
- 坂本保富著, 『幕末洋学教育史研究-土佐藩「徳弘家資料」による実態分析-』, 高知市民図書館刊, 2004年2月発行, A5判, 602頁, 本体価格3,810円
- 「学制」の公布日および「被仰出書」の原文について(15 教育史B,自由研究発表II,発表要旨)
- 杉山 精一 著, 『初期ヘルバルトの思想形成に関する研究 : 教授研究の哲学的背景を中心として』, 風間書房刊, 2001年3月発行, A5判, 264頁, 定価8,500円
- ハウスクネヒトが残した中学校教員資格勅令案
- 森川 潤 著, 『ドイツ文化の移植基盤 : 幕末・明治初期ドイツ・ヴィッセンシャフトの研究』, 雄松堂出版刊, 1997年9月発行, A5判, 347頁, 定価4,800円
- 反ナチ少年集団・エーデルヴァイス海賊団 : スタイルと活動を中心に
- エミール・ハウスクネヒト : 日本滞在の以前と以後
- ファシズム化とヘルバルト主義教育学 : わが国の場合
- J. F.ヘルバルトの学校制度論
- F. W.デルペルト研究ノート(3) : 学校体制論を中心に(上)
- 西ドイツの歴史教育・平和教育についての一考察
- 社会問題と教育 : F.W.デルペルト研究ノート(4)
- 学校教練についての一考察(上)
- 帝大法科特権の削除について
- F.W.デルペルト研究ノート(2) : 「社会科」教育論を中心に(教育学・図書館学)
- F.W.デルペルト研究ノート(1) : 「三規程」(1854)「一般諸規程」(1872)批判を中心に
- 帝大法科特権論考
- 学校教練についての一考察(下)