『ホワイト・ノイズ』 : 情報とテクノロジー
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概要
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Don DeLilloの小説White Noise(1985)は,アメリカの消費文化を半ば戯画化して描きながら,現代で重要な役割を担っている情報とテクノロジーに内在する諸問題を提示している。情報に関してみれば,テレビ,ラジオなどのマス・メディアが大きな存在となっている。登場人物はテレビの影響を受け,映像志向の感じ方や考え方をしている。また資本主義経済は生産から消費へと主要問題を移行させたが,その言説戦略の手段となったCMは,消費的生活を享受する思考,行動様式を登場人物に植え付けた。彼らにはMarcuseのいう「一次的人間」の典型的特徴が現れており,理性的に思考する主体性が全く認められないのだ。テクノロジーのテーマに関しては,死を恐れ,不滅を望む人間の本能と,テクノロジーとの結びつきがクローズアップされている。両者の繋がりは,人間から死の恐怖を取り除く薬,ダイラーの研究開発を巡るエピソードに象徴的に描かれている。人間の本能は自然な死を否定し,数限りない延命方法を開発した。あるいはまた,死を隠蔽,抑圧することで,死から逃避しようとしてきた。このような本能が今日のテクノロジーの発展をもたらすと共に,人間の危機を招いたのである。
- 富山大学の論文
著者
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