日本産業社会の制度的構造
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概要
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日本社会で制度的構造が形式的に整備され始めるのは明治以降のことである。西欧流の近代工業化の導入に対応する過程においてである。この導入は技術的には成功し,日本は第二次世界大戦以前に経済的には最後の帝国主義になり,社会的には産業社会の指標を達成させている。だがこの段階の制度的構造は国家という支配制度に従属する形で成立していた。第二次大戦に敗れると,占領軍によって民主化が試みられ,国家は支配制度ではなくなった。講和後資本主義的経済復興が現実化すると,日本社会は支配制度を欠いた新たな体制のもとで経済発展に努力し,成功する。高度経済成長を経て日本は高度産業社会を実現させるのだが,その段階の制度的構造は,全体が相互に依存し合った一つの仕組みとして確立された。それは,全体社会の構造的在り方からすると,画期的な出来事といわなければならない。現代日本の制度的構造は,生産制度を中核に,政治,経済,軍事,教育,宗教,家族といった社会生活上の基本機能を担う諸制度が形式的に確立され,産業活動の成果を取り入れながら個々の機能を向上させているだけでなく,相互依存の網の目を張りめぐらすことによって全体の水準を高度に保っている。それぞれの活動を直接的に担う単位制度は,家族を除いて拡大傾向にあり,しかも組織だったものになっている。モればかりか,制度間の相互依存は,制度レベルでのシステム化を実感させるまでに進んでいる。このシステム化こそ,高度産業社会の段階において日本が新たに持つことになった制度的構造の最大の特徴である。だがこの特徴は,また問題点をも含んでいる。システム化が都市に偏っているところから,社会生活そのものに格差が生じ,大都市に集約的に現れるシステム化は,批判されるよりも憧憬の対象となってしまった。と同時に,そうしたシステム化を促す資本主義的経済運営そのものが,改善されていかれるべきものというよりも,擁護されていかれるべきものとなっている。そこから現在の制度的構造に対する批判は生まれてこない。批判は抑止されたままである。システム化に集約される制度的構造の形式的整備は,人間と社会の関わりにおける新たな問題を提起してくる。社会はますます個々の人間から遠く離れた形式的な存在として確立されていく。制度的構造の制度的整備が進むにつれ,人間は細分化され,断片化した形でそれぞれの制度に結びつけられていく。社会のほうは制度的構造を強大化させ,巨大な壁となって我々を圧倒してくるが,我々はその中に全身を呑み込まれながらも,これに立ち向かう術を持っていない。我々は制度的構造によって包摂されようとしていく。しかし,制度的構造はあくまでも特定の制度に偏ったものであり,包摂は制度的に歪められている。しかも制度的に歪められた包摂は,それによって肥大化している構造的疎外の現実的現れを無視しながら進行していく。そのために結果するのは,人々が無自覚的な内にも構造に屈服していく土壌の広がりである。この点を見逃してしまっているが故に,現代の日本人は社会に呑み込まれてしまっている印象を与えるのである。
- 2000-12-25