高度産業社会の構造的動向
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概要
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現代日本がその一つである資本主義的高度産業社会は,人々に<豊かさ>をちらつかせながら,その背後で自立の済し崩しという深刻な構造的問題性を拡大させてきている。今必要なのは,この社会の構造的動向の解明である。ところが,社会構造の解明は,それがマクロなものになればなるほど遅れている。それだけ複雑だということにもなるが,全体社会の構造的在り方を問題にしなければならないのだという問題関心が希薄であることも一因している。我々が提起した包摂はこれを刺激するものである。我々は,形式的に確立している主要な諸制度の対応関係こそが社会構造の輪郭を成すとし,もはや今日の社会は単純に諸個人から成るとはいえず,人間と社会の間には強固な制度的構造ができあがっていることを強調する。今日の社会構造の特徴は,精緻な制度的構造が張りめぐらされながらも,それらが期せずして産業活動の活発化に協力的であるという斉一性を発揮しているところにある。しかもそこにはそれを強要するような支配的制度は存在していない。企業が実質的な核となっているのは紛れもないが,それが他に対して強制力を行使しているわけではない。だとすれば,そこに見いだされるのは社会構造のシステム化とも呼ぶべき現象である。この場合の社会構造のシステム化は,現在隆盛の社会システム論のシステム概念の使い方と同じではない。だが,事実の動きの一端を掴んでおり,事実に合まれる問題性をむしろ的確に指し示すものといえる。社会構造が制度的仕組みとしてシステム化し,人々を全存在的にその中に組み込んでくるところに問題があるのである。人間は制度を介して社会に組み込まれていく。システム化した社会にあって中心となるのは,述べるまでもなく企業である。社会に組み込まれることにより,人々は社会から構造的な保護と制約を同時に受ける。両者は一体化したものだが,より本質的なのは後者である。構造的制約のかかり方は,すでに制度ないし社会への組み込みのプロセスに含み込まれている。システム化した社会構造のもとでは制約もまたシステム化し,表面的な物理的強制力が後退する反面,制約そのものが全体化かつ全面化する。自立の済し崩しはその結果として生ずる。結局それは,差し引き勘定的には制約の強化をもたらす。それどころか,自立の制度的基盤がシステム化に簒奪されていくということは,制約が抑圧に転化することを防ぎきれない状況をもたらすことになる。<豊かさ>とは裏腹に,今日の資本主義的高度産業社会は,人間にとっての社会の構造的在り方からすると,極めて危険な存在になっているのである。日本と日本人は,この危険性を事実として浴びながら,未だそれに気づこうとはしていない。
- 慶應義塾大学の論文
- 1999-08-25