精神分析学的方法の文学解釈への応用 : ジッド,カフカ,ラシーヌ,ヘルダーリンを手掛かりにして
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概要
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精神分析学的な方法論を応用することによって,われわれは文学作品を解釈するための新たな可能性を獲得することができる。それは,作者の意識には顕在していないが,作品に残された深層心理の残樺を拾い集めることと(サイコクリティクス),作者の生涯の航跡を精神分析学的にたどること(サイコバイオグラフィー)によって可能となる。例えば,ジッドにおける克服されきれなかったエディプスやカフカの去勢恐怖,あるいはラシーヌの強迫観念やヘルダーリンの昇華といった諸要素がそれである。こうした要素をサイコクリティクスおよびサイコバイオグラフィーの方法で考察することによって,作者の無意識に隠された秘密を明らかにし,作品解釈に新たな光を照射することが可能となる。
- 秋田大学の論文
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