三石アイヌの集落と集落群,1856〜69年--流動的集団の形成
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概要
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従来,江戸時代のアイヌは主に漁撈・狩猟・採集集活動によって生計を営み,一定の居住地から季節的移動をしていたと考えられてきた。しかし,必ずしも一定の居住地からの季節的移動ではなく,各家は集落間で居住地そのものを移していた事実が見い出されつつある(遠藤 1985, 1987a,b)。つまり,集落の位置が一定しているか否かに関わらず,集落の構成家は変動しており,流動的な居住集団であったことが明らかになりつつある。集団の流動性は,現存する狩猟・採集社会の特徴として報告されており(LEE and DEVoRE 1968), ここに,現存の狩猟・採集民と江戸時代のアイヌとの接点が確認されたことになる(遠藤1988)。しかしながら,集落間移動の出発地と到着地に関する具体的なデータを欠くために,どの家のいかなる移動によって集落の構成家が流動的に変化していたのかが,必ずしも明確ではなかった。本稿の目的は,江戸末期の三石場所における家の集落間移動の移動経路を復元し,集落と集落群の関係について考察することである。
- 社団法人東京地学協会の論文
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