コンピュ-タ教育における教育的インタ-フェイス
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概要
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従来のコンピュータ教育において,プログラミング言語を学習させても,それだけでは論理性が育っとは限らなかった.それは,すべてをかりそめの約束ごととしてとらえ,暗記と手続きに埋没する中で,記号操作の技術に習れてしまうことが起こるからである.基本的に,論理というものは,自分自身に対して説得していくプロセスの記述である.私たちは,ものごとに関連を持たせ,まとまりをっくり,構造をっくり出そうとして生きているからこそ,そういった構造化のできないものを,自分自身に対して説得することができないのである.こうした人間の情報処理能力の弱さに思い至る時,「人間にとって,コンピュータとはいかなるものか?」と改めて問い直したくなる.コンピュータが私たちの心の中にあった,シンボルを操作するという本性を拡大した存在であることに気づくのは容易であろう.ここから,シンボル活動に伴なうプラスの面もマイナスの面も,必然的に拡大されていくという宿命が生じてくる.コンピュータ教育を考える時,第一に,この点を踏まえる必要があると考えられる.
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奈良大学 | 論文
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