建築史からみた当麻曼荼羅の周辺
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概要
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当麻曼茶羅を安置する当麻寺本堂(曼茶羅堂)の解体修理が行われたのは、昭和三二年二月から同三五年一月の間で、修理中多くの重要な発見があった。かつてこの修理工事に直接従事し、奈良国立文化財研究所長鈴木嘉吉氏、沼津工業高等専門学校長工藤圭章氏(当時奈良国立文化財研究所)らの協力を受けて調査をとりまとめ、修理工事報告書を執筆編集した。この修理工事では棟木銘による建立年代の確定、建立後の修理の経過と修理技術の解明、前身曼茶羅堂の復原、前身曼茶羅堂に転用された古材の前身建物の復原、厨子の製作年代が古代にさかのぼることを確認、その後の修理改造の状況、民俗文化財の発見などと数多くの成果があったが、特に厨子は平安時代初頭に遡り、平文・金銀絵・飾金具などで全面を装飾していた稀有の工芸品であったことが判明した。この厨子が、当初から当麻曼茶羅を安置するために製作されたことは規模からみて明らかであり、また前身曼茶羅堂も旧仏壇から大虹梁下端までの高さに厨子が丁度よく一杯に納まり、建立年代も厨子の製作と同じ頃で、前身曼茶羅堂は曼茶羅を安置するために建立されたことが明らかであった。当麻曼茶羅が当麻寺に安置された由縁は、従来から多くの研究がある。著者はこの点について当時の阿弥陀信仰は故人の追善供養を目的としていたところから、当麻曼茶羅の安置は当麻氏ゆかりの故人の追善供養のためであったと考え、かつてその見解にもふれたことがあったが、広く公表されたものでなかったので、曼茶羅堂・厨子の変遷と曼茶羅安置のいきさつについて改めて私見を述べようとするものである。
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奈良大学 | 論文
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