文の要素“主語”“目的語”“補語”の認知と識別について Jespersen と Fries との比較から
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概要
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いま,この小論の表題にあげたテーマについて, Jespersen の主張・方法と Fries のそれとを比較考察の上,その点についての両者の特質を明らかにし,加えて若干の批判を述べようとすれば,どこから手をつけてよいかが実は先ず相当に困難な問題となる.何故ならば"主語""目的語""補語"等の認知及び識別は,何れの体系的文法においても,実に文(sentence)の認知から始まり,語類(品詞)の識別と分類という"文法"の手がかりの設定手続きから,それらの語類の連語上の機能または"文"全体の構造分析にまでその方法論において密接不可分に関連しているからである.即ち,それらの諸手続き・諸前提の上に,始めてそれぞれの体系の中での"主語""目的語""補語"の意味が明らかにされ,また一方それぞれの文の分析(analysis of the sentence)が成立するのである.従って,当面の主題を取り扱うについて,丁度 Jespersen が彼のThe Philosophy of Grammar の Preface において各項目の配列に困惑し“the subject sthey (i.e,the chapters) deal with interlock and overlap in the most bewildering way"(P.8)と述べているのと同様の事情が生じるのであるが,しかしここでは,なるべく重点的直接的に小論の表題のテーマ中心に扱い,その面から逆に各有機的体系の特質を少しでも傭鰍し得ればと思う.
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奈良大学 | 論文
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