第二次満蒙挙事について
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概要
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1911年(明治44)10月に辛亥革命が勃発し,清朝の形勢が日に不利になると,清帝の蒙塵を予想して,清朝の故地満州(東三省)に満州・蒙古両民族の国家を樹立しょうとする宗社党が中国にあり,これと呼応して独立国家の樹立を援助し,日本の勢力を扶植しょうとする川島浪速らは,革命の混乱に乗じて,積極的に策謀した.この動きは,政府(西園寺内閣)の手によって抑圧された.これが第一次満蒙挙事である.川島らは,その企図を断念せず,1913年(大正2)ころから,またまた活動を開始した.この運動は,政府首脳・外務省・参謀本部・関東都督府・現地領事など,種々の意見が出て極端な不統一の情態を暴露し,衷世凱の帝制野望・第三革命の勃発・蓑の憤死などの中国情勢もからみ,二転三転して,結局16年7,8月ころに中止される.その経過については,すでに栗原健氏の研究もあるが,本稿ではこの研究に依拠しつつ,他の資料により述べてみたい.筆者は,かつて日露戦争以後,元老が国内諸勢力を統合していた情態が維持できなくなって,体制の分裂が顕著になってきたことを指摘しておいた.また井上清氏も軍部の形成を論じ,軍部がまだ,独立で政府を牽引してゆく段階に達しない時期から,やがて昭和に入って強力になってゆく情況を分析された.本事件は,このような観点からも,興味ぶかい材料を提供する.ただし本稿では,紙数の関係上,十分この点に言及しえないことを,予じめお断りしておく.なお資料としては,「寺内正毅文書」,「山県有朋文書」など国立国会図書館所蔵のもの,および早稲田大学所蔵の「大隈重信文書」を多く用い,それぞれ「寺内文書」等と略称した.両図書館および関係館員に厚く御礼申上げる次第である.
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奈良大学 | 論文
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