「*なんとなく病気になりました」の非文性について
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概要
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日本語学習者は「なんとなく」の用法を「はっきり理由・原因がわからない場合」に用いると教えられると「なんとなく病気になりました」というような容認度がかなり低い,もしくは非文とされる文章を作成してしまう。本論ではこの誤用例をもとに「なんとなく」と「~になる」という2つの表現の共起制限を分析することを目的とする。分析によって、「なんとなく」は述語全体を修飾しており、他の「名詞+になる」と共起するが,それは形態,様態,性質といった変化の側面とは無関係であることが示される。本稿ではそういった変化の側面ではなく時間軸上の起点を表す表現との共起に制限があることが示される。Japanese text books tend to define the usage of the adverb "nantonaku" as "used when you cannot specify any definitive cause (for the action or the situation)" . This description is quite misleading; one Japanese learner produced an acceptable (ungrammatical) sentence such as "nantonaku byooki ni narimashita" . Based on this misusage, this study investigate the restriction on cooccurrence between "nantonaku" and "noun + ni" . It will be clarified that "nantonaku" modifies the following predicate, and when it does not cooccur with "noun + ni" , it is not because the various aspects of the change which the predicate describes, but because the predicate denotes a certain action which has a starting point.
著者
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