初期電灯産業形成に果たした東京電燈の役割
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概要
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故玉置紀夫教授追悼号我が国の電灯・電力の事業化は1887年の東京電燈による東京市内への白熱灯供給を最初とする。組織の問題さらに技術的制約からその供給域は中央区部に限定されたが,同社が短期間に収益を上げるや,多くの国内資本がこれを模倣して電灯企業設立に走ることになる。同社の株式会社形態の採用,地元資本との結合関係の形成,専任技術者の雇用は国内電灯企業の参考とするべきものとなった。しかし同社が導入した直流式エジソン技術は,交流の高圧式配電方式を装備した競争企業の出現によって短期間に陳腐化してしまう。旧技術に拘束され新技術転換に躊躇した東京電燈は市場拡大を中断し,市場分割の協定に合意せざるを得なくなるが,東京電燈の価格競争回避の姿勢は電灯・電力産業に踏襲され,共存協調を重視する思想として国内電灯資本に浸透していく。しかしその一方で,市場統制を目的とした吸収合併を最初に実践し,また徹底した企業も東京電燈であった。協調と企業集中を組み合わせた市場統制政策を東京電燈がつくり上げると,それは国内主要企業の模倣していくところとなった。本小稿はわが国で最初の電灯事業経営に成功した東京電燈の設立と経営過程を取り上げ,同企業が明治政府の産業政策から無縁であった電灯産業の形成過程に果たした役割を考察したものである。1880年代末期に始まるわが国の電灯産業形成は,殖産興業政策のイデオロギーから開放された国内資本が新たな投資先を求めた行動のひとつであり,多分に冒険的企業者活動に負うものであった。こうした理解にもとづき,1880年代末から1900年代初期にいたる産業形成期の環境変化にたいして,東京電燈が展開した経営戦略と組織活動の特質を経営史的視点から再構成し,国内資本が大量に電灯事業へ進出するのを促すうえで果たした同社の役割を明らかにしていく。また,産業発展のその後を特徴づける共存思想の生成は同社が産業発展初期にとった経営行動の産物であり,東京市内に競争企業が出現したときの市場戦略と経営管理の考察を併せ進めていくことになる。
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