大正時代中期までの中国地方初等教育界における劣等児問題の認識と対処
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概要
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本論文の目的は、義務教育制度が確立した明治時代末期から大正時代中期までの中国地方5県の小学校が劣等児問題に対して何らかの対処をするまでの過程を県教育会雑誌を中心に比較検討し、劣等児問題の認識と理論的・実践的対処にはいかなる条件が必要であったのかを究明しようとするものである。劣等児の発生原因には環境因が多いとみなされていたが、それは、二部教授等の制度上の問題と教員の量・質の問題や、通学の継続を妨げる貧困の問題等を意味していた。大正時代になると、明治時代の教育方法に対する反省や大正デモクラシーにおける児童尊重および個人差の重視が、劣等児への注目を生んだ。中国地方5県のなかで岡山県が傑出して劣等児教育が盛んになったが、それは、劣等児教育に関心をもつ校長や教員が多かったためである。その基盤として、産業構造の変化を背景とした中等学校への進学希望者の急増があり、それによって生じた、進学を実現する小学校教育の効率化という時代的要求が、間接的に劣等児教育を盛んにしたと考えられる。
- 2014-03-31
著者
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