『地域言語』の潜在的可能性
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概要
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戦後の「方言撲滅運動」推進によって、各地域本来のことばが失われてきた。その反省から、1970年代以降、沖縄では地域のことばの見直し運動が活発化した。その中心には、「自分たちは何ものか」という問いがあった。一方、地域のことばに対する誇りを保ち続けてきた関西の人々は、自分たちのことばの中に息づく、その地域に独特な発想やマインドを発揮できた。それによって、全国に向けて豊かな発信を続け、戦後社会に貢献してきた。関西と沖縄の動きを併せて考えてみると、「自分たちは何ものか」の問いの先にあるものこそ、地域のことばの中に脈動する「発想・マインド」に他ならないことに気がつく。その「発想・マインド」は、自分の地域のことばを、とにかく使うことによって活性化する。ならば、どのように使うべきなのか。地域のことばを私的場面はもちろん、公的場面でも意識化し果敢に使ってゆく実践の継続である。実践によって発想・マインドが賦活され、その地域ならではの真に個性的な発信が可能になる。私たちが向かう分権社会は、各地の多様な発想・マインドが、それぞれに独特な発信となって全国に届く、地域言語多様性開花の時代に他ならない。
著者
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