コミュニケーションの創発性と非蓋然性:蓋然性と非蓋然性のはざまで
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概要
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現在、様々な分野においてコミュニケーションに関する議論が存在する。そこにはコミュニケーションについての一様でない多様な構造が見え隠れする。様々な特徴を指摘されるコミュニケーションへの議論ではあるが、広い意味で、コミュニケーションを意志の伝達行為として捉える理解にさほど大きな疑義はなかろう。すなわち、コミュニケーションを意思疎通を行うための一連の運動であると捉える理解に大きな問題が孕まれることは少ないであろう。もちろん、このことはコミュニケーションによって常に完全なる意思の疎通がもたらされるということを意味するものではない。 このコミュニケーションという一連のプロセスにおいて、そこには複数の異なる主体が前提され、情報の伝達とその結果としての情報の理解と共有が期待されることになる。しかし、そこには結果として意図されない事態の創発可能性も存在する。コミュニケーションという運動において、それが意思疎通を目指した一連の運動であるにもかかわらず、その目指された意思疎通は確実でも自明でもない。その証拠にわれわれはごく日常的に誤解を経験する。まさに非蓋然的な事態がそこに存在する。もちろん、すべてが誤解の中にあるというわけではない。しかし、この非蓋然的な事態を無視したり、軽視したりすることはできないこともまた事実であろう。以下では、この非蓋然的な事態に注目しコミュニケーションという一連の運動を再考する。
- 2008-09-30