阿部七五三吉の手工教育論 : 明治40年頃から大正10年頃までの著作・論文に見られる教授方法に関する主張から
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概要
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小論は,戦前の手工科・図画科に於いて中心的な立場にあった阿部七五三吉の手工教育論に着目し人物研究を通して明治40(1907)年頃から大正10(1921)年頃までの小学校の工作の教育を考察した。研究の結果,阿部が東京高等師範学校附属小学校での実践経験を土台とした教育現場の目線から子どもの発達段階を考慮した幅広い「ものづくり」を通した教育の教授方法及び教材の研究を進めていたことが分かった。また,当時の東京高等師範学校附属小学校では図画科と手工科の連絡教授及び合科に関する研究がなされていたが,これを引継いだ阿部は図画科と手工科の安易な連絡教授及び合科は成り立たないという意見を述べている。
- 2010-03-20
著者
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