「行為」について(II 倫理,慶応義塾創立百年記念論文集)
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概要
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「犯意がなければ犯罪はない。」この格率は多くの刑法学者によって支持されてきたとH・L・A・ハートは指摘している。それは犯罪行為の有無が犯意の有無によりきまるという意味である。このように心理的要素を行為に欠くことのできない要素と考えるのは刑法学者だけではない。過去のたいがいの倫理学者の考える行為も、熟慮、動機、意図、意志、決定、決意というような心理的要素を必要としており、それがなければ行為にならないと考えられている。アリストテレスの思慮にもとづく選択理論、カントの善意志説、シエーラーの愛説、功利論者の快楽説などいずれもそうである。現在でもわたしたちはC・I・ルイスやG・F・フーラニイ、W・F・バーンズやR・ヘエア、ノエルスミスの行為説のうちにこの見解を見つけることができる。これらの人人の考える心理的要素にはそれぞれ異った内容があるが、どれも肉体運動に対立した精神的または心理的要素を重視している点で共通である。そこでわたしたちはこの見解を行為の心理主義の解釈と呼ぶことができる。この心理主義の解釈をわたしたち自身もいままであまり批判的にならずにうけ入れてきた。わたしたちは行為を考えるときまず第一に動機は何か、意図は何か、意志は何かなどという問題にとりくむ。この研究態度は道徳的行為であるとないとをとわずすべての行為にこれらの心理的要素が共通にあるという前提を暗黙のうちにうけ入れていたのである。だから、動機、意図、意志、決定などの研究をすれば、全行為を研究することになると考えられていた。いったいこの考え方は正しいのであろうか。この小論文はこの問題に焦点をあわせよう。とくにH・L・A・ハートとA・I・メルデンは習慣的にさえなったこの考え方に対して興味のある批判をしている。わたしは、はじめにハートの二つの批判とメルデンの批判とを手がかりとしてこの問題を論じていくことにする。
- 慶應義塾大学の論文
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