1930年代台湾文学における言語問題について : 郷土文学論争から『台湾文芸』へ
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概要
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1934年5月6日在台中市召開了第1回台灣全島文藝大會。而經由≪台灣文藝≫2巻1號中刊登的 <第1回台灣全島文藝大會紀録> 我們可以窺見這場大會之進行状況。在那當中由籌備委員會(籌委會)提案的七個項目之含了「機関雑誌案」和「文藝大衆化案」而獲得全場一致的表決通過。1930年8月以黄石輝發表於≪伍人報≫雜誌上的一篇文章<怎様不提倡郷土文学>為契機,發生了台灣話文提倡派與中國白話文提倡派的論爭展,所謂的「郷土文学論戦」,也就此結束了。但論戦的結束決不等於説難題的解決。本文透過巫永福發表於1934年11月創刊≪台灣文藝≫雜誌上的一篇文章 <我們的創作問題> 和楊逵發表於≪文学評論≫的<台灣文壇的近情>論述分析,指出未解決的1930年代台灣文学中的語言問題的存在。
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