「二種迷」(dvayabhranti)について : 『大乗荘厳経論』第十一章<幻喩>再考
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概要
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『大乗荘厳経論』第十一章「求法品」において弥勒は幻喩(mayopama)を用いて三性説を例証する.彼は,<非実在の構想>(abhutaparikalpa,虚妄分別)と<二者の錯誤>(dvayabhranti,二種迷)を<幻術>(maya)と<幻術>からつくり出されるもの(mayakrta)に各々喩える(k.15).注釈者世親は<幻術>において<幻術>からつくり出される象の姿が「象として顕現する」のと同様,<非実在の構想>において<二者の錯誤>が「所取・能取として顕現する」と説明する.幻喩に関する研究は数多いが,象の姿に喩えられる<二者の錯誤>とは具体的に何なのか,いまだ明確になっていないように思われる.本稿は,世親による著書『三性論』,及び後代の有相唯識論者ジュニャーナシュリーミトラによる著書『有相唯織論』における『大乗荘厳経論』の引用の検討を通して,この問題に対するひとつの回答を与えようとするものである.マジックショーにおいては,幻術の素材(maya)から象の姿が現出し,観客にはその象の姿が象として顕現する.たとえ「実在する象を見ている」と思ったとしても,その象は実在ではなく,実在するものは象の姿のみである.同様に,たとえ「実在する所取・能取を経験している」と思ったとしても,所取・能取は実在ではなく,実在するものは所取・能取の実在する形象を有する<二者の錯誤>,或いは<非実在の構想>である.従って,世親にとって「二者の錯誤」は,所取・能取の形象の実在性に基づいて所取・能取を実在するものとして誤って認識する,そのような誤謬知を意味する.一方,有相唯識論者ジュニャーナシュリーミトラは,『大乗荘厳経論』の当該箇所をadhyavasaya理論の枠組みで解釈する.彼にとって「二者の錯誤」はそれに関して所取・能取が誤って認識されるところの所取・能取の形象を指示する.所取・能取はそれらの形象の実在性に基づいて措定されるところのものである.
- 2008-03-25
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