『唯識三十頌』第一頌'vijnanapariname'の第七格解釈について
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概要
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『唯識三十頌』第一頌は,ヴァスバンドゥによって瑜伽行派の最も根幹となる思想が表明される偈頌である.したがって,この偈頌の正しい解釈は,彼の学説の適切な理解のために極めて重要である.本論考は,この偈頌に対する二種の解釈を検討するものである.一つの解釈は,近年の研究者らによって採用される解釈(Unebe[2004]等)であり,もう一方は,注釈者ステイラマティによって提案される解釈である.スティラマティは,近年のような解釈が生じることを既に予測しており,彼の注釈中にそのような解釈を未然に防ぐための議論を展開している.二種の解釈,及びスティラマティの議論を検討した結果,明らかになったことは以下の二点である.(1)a句atmadharmopacara'における'upacara'という語は,「比喩的表現」という一般的な意味ではなく,世俗的な言葉や知識を導くような,「仮構」や「構想」(parikalpa)という意味で捉えられる.(2)d句'vijnanapariname'という第七格表現は,識転変を〈場〉としてアートマンと諸ダルマの仮構が起こることを示している.そして〈場〉あるがゆえに,識転変は仮構の根拠とみなされる.「様々な言語表現が識転変を指示する」という構文解釈は妥当しない.瑜伽行派の教義に即して,唯一の実在たる識転変は,いかなる語によっても指示され得ないからである.「言語表現」の〈指示対象〉は,単なるアートマンと諸ダルマであり,第二義的な存在性をもつもの,仮構されるものである.以上より,当該の偈頌を,「実に,[世間や諸論書において]起こっている様々なアートマンとダルマの仮構,それは識転変において[起こっているの]である」と訳出することができよう.
- 2007-03-25
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