尾道市体育指導委員の46年間における組織と活動の変遷
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概要
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尾道市体育指導委員の組織は、1962年に尾道市教育委員会規則によって誕生した。体育指導委員数の任命数は40人程から50名になり、さらに平成の市町村合併に伴い118人に増加している。 2007年で尾道市体育指導委員制度が制定され46年になる。この間の体育指導委員の会長は、久保輝雄、半田正則、村上輝三、井上弘、武田博、岡田安弘、光永五十彦、有本達治、比本学志の9人となっている。体育指導委員の活動の変遷は、第1期から4期に分けられ、現在第4期に入った。第1期は体育指導委員の役割を模索時代で1962年から1980年までといえる。この期間は、体育指導委員の任務や役割が明確とはいえず、スポーツ行事の運営側に関わっていた時代で、体育指導委員の役割や活動を模索していた期間といえる。第2期の奮闘時代は、1981年から1992年までといえよう。体育・スポーツ施設が不足した期間で、小・中学校のグランドや体育館を会場に献身的に活動した。ボランティアとして無報酬の喜びを感じていた頃でスポーツ指導や世話役に奮闘していたともいえる。第3期の活動の時代は、1993年から2006年まで、びんご運動公園の開園によりスポーツ環境が急速に整った。そのため生涯スポーツが発展したといえる。また、2市3町の体育指導委員協議会の統合期でもある。2007年からは第4期で、統合地域の活動が課題といえよう。尾道市の地域スポーツ振興に貢献した体育指導委員は、当時の内閣総理大臣中曽根康弘と首相官邸で懇談した村上輝三がいる。文部大臣感謝状を受賞した村上輝三、黒田英成、光永五十彦の3人いる。全国体育指導委員協議会功労賞受賞の、半田正則、黒田巻己、岡田安弘、光永五十彦、柏原久司(旧因島市)の5人いる。
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