反環境、あるいはエコロジーの詩学 : マクルーハン理論の再布置化に向けて(環境科学部創立10周年記念特別号)
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概要
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Die vorliegende Arbeit setzt sich zum Ziel, "Gegen-Umwelt (anti-environment)", einen Schltisselbegriff der Medientheorie von Marshall Mcluhan, im Kontext der Okologie im weiteren Sinne neu zu bewerten. Die Hauptthese der Mcluhanschen "Gegen-Umwelt-Theorie" heiBt: "Von Kunstlern geschaffene Gegen-Umwelten und Gegen-Situationen liefern Mittel, die es uns ermoglichen, die Umwelt unmittelbar zu erkennen und besser zu verstehen". Im Innenraum einer Umwelt kann man nur schwer erkennen, wie sie sich in Wirklichkeit befindet. Durch die "Gegen-Umwelten" als Medien kommt seine Umwelt zum Vordergrund. Eigentlich hatte der okologische Gedanke ein starkes Interesse an Sprache bzw. Poetik, das aber durch die pragmatische und technokratische Haltung der neueren Okologie ausgeschlossen und unterdriickt worden ist. So gesehen liefern die "Gegen-Umwelten" Moglichkeiten, Okologie erneut als Poetik zu beleben.
- 長崎大学の論文
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