奈良平安期における紀寺・ 連城寺の基礎的考察
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
奈良市西紀寺町にある?珹寺では、大阪樟蔭女子大学地域文化センター及び日本文化史学科によって、二〇〇五年から現在に至るまで発掘調査や古文書調査が実施されている。その調査成果の一環として、奈良平安期における紀寺・?城寺をめぐる文献史料の検討を行ない、次の三点を明らかにした。第一に、平城京の紀寺・?城寺の初見は、厳密にいえば延暦二年(七八三)より前に遡らない点。第二に、紀寺と?城寺が同一寺院であるかどうか明確な証拠はないが、紀寺と?城寺の寺田が大和国城下郡東辺に集まることから、両寺が同一の寺院である可能性が指摘できる点。第三に、光仁天皇の母である紀橡姫の国家的追善仏事である国忌が、紀寺・?城寺で実施されていた可能性と、桓武天皇による光仁天皇の血縁に連なる紀氏への梃入れの一環として、延暦二年における紀寺への封戸施入がなされた可能性がある点。
- 2008-01-31
著者
関連論文
- 近現代における奈良市連城寺の「縁起」
- 連城寺(紀寺)総合学術調査 2
- 東大寺大仏と宮--大仏供起源考
- 文学の「読み方」はあるか : 田辺文学の教材化の試み
- 古代(日本)
- 奈良平安期における紀寺・ 連城寺の基礎的考察
- 平安期の御願寺と天皇--九・十世紀を中心に (特集 モニュメント)
- 平安初期の天皇権威と国忌
- 法会に刻まれた古代の記憶--大供と大修多羅衆
- 日本古代における死へのまなざし
- 智の政治史的考察--奈良平安前期の国家・寺院・学僧
- 死へのまなざし--死体・出家・ただ人 (1998年度 日本史研究会大会特集号統一テーマ 戦後歴史学の総括) -- (第1分科会 古代史部会)
- 天皇の死の歴史的位置 : 「如在之儀」を中心に
- 「門徒」にみる平安期社会集団と国家