中世中期における「見懲らし」について
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概要
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南北朝内乱期以後の中世中期には、前代末期以来の〈為向後傍輩〉または〈為傍輩向後〉と定型的に表現される見懲らし文言は、急速に訴状その他の書面から姿を消して行くが、室町時代に入っても、完全に跡を絶つには至らなかった。見懲らし文言の訴状記載の激減の原因には、(1) 鎌倉末期以来の見懲らし文言の訴状記載による見懲らし効果の減退、(2) 訴状の請求内容の著しい現実主義化、(3) 中世中期以降の悪党所見の激減との相関、(4) 傍輩の信頼性の一段の低下などが考えられ、これらが複合的に作用したと推測される。また、(5) 見懲らし文言の訴状記載の必要性の欠如も考えられ、一般予防目的を明示する見懲らし文言の機能は、訴状その他の書面の上には活用の場を失い、中世中期には、専ら検断権者による罪科の一般予防目的の公示及び検断権発動の根拠付けの目的で、検断権者によって言明される言語表現形式としての役割を果たすのみになって行ったと思われる。
- 共栄学園短期大学の論文
- 2008-03-31
共栄学園短期大学 | 論文
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