「派出婦」の登場 : 両大戦間期における<女中>イメージの変容
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概要
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本稿は,両大戦間期の日本における<女中>イメージの変容を,第一次世界大戦後に登場した「派出婦」(=家庭などに出向いて家事手伝いに従事する臨時雇いの女性)に焦点をあてて考察するものである。第一次世界大戦後,都市部では女中不足が深刻な社会問題となりつつあった。女中が見つからない,居着かない。そんな女中払底への対応策のひとつとして打ち出されたのが「派出婦」という臨時雇いの女中のシステムである。1918年,東京・四谷に「婦人共同派出会」が設立された。派出婦は,申込者の依頼内容に応じて適任者が派遣されるしくみ。賃金は従来の女中にくらべると割高だが,必要なとき必要なだけ雇えるという利点もある。「派出婦」はその後,家庭の手不足を補う労働力として,都市部を中心に急速に広まっていった。女中になることを"奉公に上がる"といったように,日本の女中は行儀見習や家事習得という修業的な性格を有していた。これに対して派出婦は,雇用期間や勤務時間,仕事内容が前もって決められるという点で,従来の女中とは大きく異なった。そこには"修業"という側面はない。主従関係から契約関係へ。「派出婦」の登場により女中は,"職業人"としての第一歩を踏み出すことになったのである。
- 2003-03-30
著者
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