人間の学としての医学
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概要
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「驚くことながら、否定されえない事実は、現代の医学が、病む人の固有の学を持たないということである。」この、現代の医学に対するヴィクトール・フォン・ヴァイツゼッカーの1926年の批判的指摘は、21世紀の、健康科学の性格をもった医学に対して、いよいよ妥当するはずである。生命科学と生命技術とに基づく現代の医学は、健康を科学的に探究して、健康との関連において、その否定克服されるべき要素としての病気に向かい、病いの現象、疾患の原因、結果、治療手段などの区別は教えるけれども、「病む人」、その「病む人」の苦しみそのもの、つまり主体を見ない。おそらく、ここに、現代の人間の生命の根本問題があるであろう。近代医学は、しばしばデカルト主義・還元主義と特徴づけられる。つまり、それは、デカルトの心身の二元論に立脚しながら、身体を物理現象に還元して把握することに基づく、と見られるからである。しかしながら、現代の生命科学に基づき、その応用科学の性格さえもってきている生命医学biomedicineは、身体疾患ばかりでなく、精神疾患についても、分子遺伝学的な因果説明を基盤とする客観化の道を疑念なく邁進している。それはまさしく、人間もその一部をなす自然の機械論的因果的連関の把握の一元論であって、それによって、初めて自然への意図的な介入が可能になったのである。ヴァイツゼッカーの人間学的医学の核心は、デカルトの心身二元論の克服にあった。こころとからだとは、決して一つにならない。同様に、自己と他者もそうである。ただ、それは、相互隠蔽に基づいて、相互に解明し合う関係である。こころとからだとの相属性は、むしろニールス・ボーアの量子力学における相補性の概念によって、人間の現存の二つの表現可能性として特徴づけられるはずである。医学における自然科学的な知と生活誌的解釈学的な知との間にも、相補的関係がある。人間の学としての医学の課題は、こころとからだとが全体をなす一個の人間の病いの歴史を明らかにし、それを完成する援助をすることにある。
- 2006-03-15
著者
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