唐寫本『普賢菩薩行願王經』解題
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概要
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本論文は、重慶博物館に収蔵されている唐写本『普賢菩薩行願王経』(後「重慶本」と略称)について、一敦煌写本との関係、二『普賢菩薩行願王経』の別訳諸本との異同、三華厳諸訳経にあらわれた浄土思想に関する問題など、を論じたものである。一、『普賢菩薩行願王経』が敦煌文書にしか存在しないことや、重慶本の訳語・内容・書体・俗字などのすべてが敦煌写本と合致することから、重慶本は恐らく敦煌に出土されたものであり、少なくとも敦煌本と同一の原本からの同一の訳者によるものであろう。またペリオ本P.三五六八によると、その訳者は大蕃国の沙門无分別であるとなっているが、これはあくまでも孤証であるため、ここでは一つの話題として提起するにとどめたい。二、『普賢菩薩行願王経』の別訳としては、スタイン本の『大方廣佛花厳經普賢菩薩行願王品』が最も重慶本に近いものである。そのほか、不空訳の『普賢菩薩行願讃』や『大方廣佛華嚴経』六十巻本(佛駄跋陀羅訳)・八十巻本(實叉難陀訳)・四十巻本(般若三蔵訳)の三種にも別訳が見られる。内容的には、重慶・スタイン・不空・般若本と六十・八十巻本の二つの系統に大別することができる。しかし句数や文意の順序からみると、不空本の一から二四〇句までは重慶・スタイン本と同じであるが、不空本の二四一から二四八句までは般若本と一致するもので、重慶・スタイン本には見られないものである。また般若本の一八一から二〇四句は重慶本の二一七から二四〇句であり、二〇五から二四〇句は重慶本の一八一から二一六句である。さらに不空本の末尾にある『八大菩薩経』は、諸々の別訳本には見られないものである。同一の梵文の原本から、どうしてこのような多岐にわたる別訳が存在したのか。訳者の意図によるものなのか。それとも後世の編集によって生じたものなのか。いろいろな推測ができ、興味の尽きない問題であるが、千年も前のこと故、今日では推論するほかに手だてがない。三、しかし何といっても重慶・スタイン・不空・般若本にあらわれた「極楽浄土に往生する」という思想は、六十・八十巻本にはみられないだけでなく、根本的に華厳の教義に相反するものでもある。実に厄介極まりない問題である。これについては、清涼大師澄観が「縁有り故、衆生を使て情一つに帰憑すると欲す故、華蔵を離れず故、本師に即く故」、と釈義している。つまり阿彌陀佛の国は十万億佛土あり、〓廬遮那の世界に包含されるものである。普賢菩薩が偏えに極楽往生を勧奨するとはいうものの、華蔵刹海から離れるものではない。また『直指浄土決疑集』に指摘されているように、「力用未だ充ちず」故に、成佛するまで暫く浄土に帰依し、親しく彌陀海衆に近づく、という説もある。いずれにしても、唐宋以後中国佛教界の風潮は勿論のこと、諸々の佛典でさえも極楽往生の瀰満した浄土思想は、「一乗の極唱終帰悉く楽邦を指す」といわれるほど甚だしく華厳の訳経の影響を受けたのである。なお本文の初めに掲載されている図版は同朋舎の提供によるものである。ここに誌して謝意を表したい。
- 桃山学院大学の論文
- 1997-03-15