第一次世界大戦前のイギリスの対東アジア政策に関する一考察 : 対ロシア交渉の停止と「日英同盟」協約交渉,1901年10月〜11月(II)
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概要
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19世紀末から第一次世界大戦に至るイギリス外交政策の研究は,1960年代に入り「50年ルール」解禁の後に飛躍的に進展した。外務省文書や内閣文書に基づいた諸研究は,ソールズベリが単なる頑固な孤立主義者ではなかったことを明らかにした。彼は,1890年代を通じて,ロシアとフランスとの協調の機会を京にうかがっていたからである。1902年1月末に「日英同盟」が成立するが,ソールズベリ内閣は,日本との交渉に先がけてロシアと交渉を行っていた。結果的にはロシアとの交渉が失敗したことをうけて,内閣は本格的な日本との交渉に入ったのであった。しかしこのことは,イギリスが東アジアにおいてロシアと敵対することを意味するものではなかった。日本との同盟交渉も従って,「反ロシア」ではなく,「反ロシアではない協定」の模索の結果であった。小論で取り上げるロシアとの直接交渉も,また日本との「反ロシアではない協定」の交渉もともに,1898年1月に始まる東アジアに関する一連の交渉の中の位置づけられるが,「スコット=ムラヴィヨフ協定」(1899年4月)にみられるように,ロシアとの何らかの相互理解を求めた結果なのであった。それが,19世紀末のイギリスの伝統的外交政策であった。
- 2005-03-15
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