May Day : フィッツジェラルドの作家としての社会的責任感
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概要
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第1次大戦後のアメリカの大半の国民は、彼らは世界的使命感から参戦したのだが、連合国の戦後処理を見て、ヨーロッパから孤立したと考えていた。彼らの使命感は戦時中禁欲的に耐えたことに基づいていた。しかし、彼らは多くの兵士を犠牲にしたことも知っていた。マルカム・カウリーによれば、アメリカは戦後、それまでの「生産倫理」から「消費倫理」に変わった。イーディス・ブレイディンは、「生産倫理」に基づいて耐えることに自負を持っていると考えている大半のアメリカ人の代表として描かれ、彼女の理不尽な攻撃的行動を通して戦後孤立したアメリカが批判されている。戦場で無惨な戦死者を見たであろうゴードン・ステレットは本来、非利己的な性格を増幅させた。その優しさのため、戦後の消費社会に生きることができないのであるが、資本主義社会にも彼は生きることができない。ピーター・ヒンメルはゴードンと同じ性質に見えるが、ナルシズムに囚われている。それは消費社会が彼を受け入れる場を次々に提供して彼のナルシスティツクな行動を助長するからである。それを続ければ彼は解体する。このような悲観的事態はジャーナリズムによって戦後の平和と繁栄が宣伝されたためである。フィッツジェラルドはジャーナリズムにできないことを行って小説家としての社会的責任を果たした。それは1919年の「メーデー」に戦争責任者を糾弾する演説を聴いていた復員兵達が警察に暴力を振るわれた時の感情をゴードンに託して書くことだった。
著者
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