Absolution : Schwartz 神父の Idealism
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
「罪の赦し」のルドルフ・ミラーと『偉大なギャツビー』のジェイ・ギャッビーの共通性をさぐる大方の批評にもかかわらず、ギャッビーと共通点を持つのはシュウォルッ神父である。神父はルドルフの告白の中に、少年を待ち受ける危険性一やみくもな自己中心主義を読み取る。そして、それは親による教育が欠如しているためである。しかし、少年は自己処罰の感情によってその危険性を越える人間性を見せる。告白を聴く前の神父は、自らの純粋さを神への帰依という虚構の中で維持してきた。しかし、ルドルフ少年への彼の問いかけに端を発した少年の体験は自分だけの純粋さを保とうとする保身から派生したことに神父は責任を感じる。彼は、神父の口から出るのは奇異な内容、つまり、遊園地の楽しさを現出して見せるのである。それは神父という職業を放棄する行為である。しかし、神父がこの行為を敢えて行ったのは、文明社会での経験の性質を認識する能力を少年が身につけた時、自分の行動の意味が理解されるであろうと考えたためである。この神父の行為に、想像力によってしか繋がり得ない人間どうしの共有という作者の悲劇的認識を見いだすことができる。これがシュウォルツ神父とギャッビーの共通点である。
著者
関連論文
- "Winter Dreams"における第1次世界大戦後のアメリカの崩壊
- May Day : フィッツジェラルドの作家としての社会的責任感
- "Babylon Revisited"論--現代社会におけるCharlie Walesの共同体感覚
- Absolution : Schwartz 神父の Idealism
- The Beautiful and Damned論 : 私欲超越の願望(人文・社会科学編)
- This Side of ParadiseのBook 2について--産業主義時代の陥穽と信念の希求