王逸『楚辭章句』屈賦注における「離騒」テーマの展開
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
小稿は、前近代・近現代を通じ、中国文化史において常に正統的位置を占めて来た屈原について、そのイメージ-屈原の名によって象徴される意味世界-を読み解こうとする試みの一環である。屈原の伝承は遅く見ても前漢には既に成立しており、以来現代まで時代による変化や盛衰はあるものの、基本的には絶えることなく行われてきた。このため、屈服は中国文化史の一側面における「変遷の中の継承」を見るに当たっての有効且つユニークな切り口たり得ると思われる。このように、本研究は屈原イメージの史的変遷を辿ろうとするものであるが、今回は、漢代の屈原像、ひいては後世における屈原像の祖型の把握に繋がる作業として、後漢の王逸『楚辭章句』をとり上げる。『楚辭章句』は、戦国末から前漢を経て後漢に至る楚辞及び屈原理解の集大成であり、そこに示される屈原像は、戦国末以来の屈原像を反映したものとみることが出来る。更に、後世に伝わったものとしては最古の注釈書として楚辞学上に持った位置付けから、『楚辭章句』は屈原像の祖型を後世に提示する作用を常に果たし続けてきた。筆者は、すでに屈原像の核心を成す巻一「難騒經章句」についての検討を終えた。その結果、そこには、王注「離騒」テーマとも言うべき諸テーマがあること、それらのテーマを展開する一連の語彙があることを見出した。小稿は、次段階として、『楚辭章句』巻二から巻七に収められた屈賦の王注において、この「離騒」テーマがどのように展開するのかを考察しようとする。
- 2005-03-22
著者
関連論文
- 個人史から考える日中近現代関係史:沖縄現地調査報告を中心に
- 王逸『楚辭章句』屈賦注における「離騒」テーマの展開
- テクストとしての王逸『楚辭章句』 : その問題点
- 王逸『楚辭章句』全巻における「離騒」テーマの展開
- 山西省孟県仙人村調査報告 〜「個人史から考える日中近現代関係史」の一環として〜
- 屈原像の中国文化史上の役割:漢代における祖型の登場