ヴィルヘルム・グリムが唯一知っていた日本のメルヒェン
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概要
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グリムの『家庭と子どものメルヒェン集』に付けられた註巻(1822)には次の記述がある。 最後にケンプファー(ドーム版「日本について」1巻149)に出てくる日本のメルヒェンについて伝えたい。あらゆる飛ぶ虫の中で最も美しい虫は、日本でもたまにしかお目にかかれず、そのため女の子たちも大切に保管する虫であり、細い楕円の、夜に飛ぶ虫である。その輝く羽は、青と金のストライプが縦にのび、鏡のように光っている。夜に飛ぶすべてのむしに対しても「まずは行って、私に火をもってきなさい。そうしたらあなたを愛してあげます」と言って断る。虫たちは盲目的に大あわてでろうそくに飛んでいき、もどることなど考えることもできないほどひどく怪我をする。 この断片には「美と美によるショック」といった、リュティの挙げるメルヒェンの特徴があらわれており、美しく哀しい動物メルヒェンであるように見える。しかしトムソンのモティーフ・インデックスにも、日本のタイプ・インデックス、または『日本昔話通観』にもこのメルヒェンは出てこない。そこで、この小論では、この話がもともと昔話であるのか、ケンプファーがどの原典からこの話を取ったのかを考察する。 グリムのテクストでは「もっとも美しい夜とぶ虫(die Nachtflige)」を常にsie(女性名詞の代名詞)で受けているため、この美しい虫が女性であるように読める。しかし、これをさかのぼっていくと、グリムが参照したドームのテクストでは、「虫(das Insekt)」を受け、es(中性名詞の代名詞)で呼んでいる。そしてさらにさかのぼると、ケンプファーの手稿では、「夜飛ぶ虫(ein nacht flieger)」を受け、文中で常にer(男性名詞の代名詞)と呼んでいる。さらにケンプファーの手稿では、この美しい虫に惚れ込む虫たちをCourtisane(16〜18世紀の教養を身につけ色香を放つ貴族の愛人)と呼んでおり、このことからも、この美しい虫が男性として描かれていることがわかる。 この美しい虫はその記述と挿し絵から、玉虫であると考えられる。玉虫が登場する日本の物語には、「玉虫の草紙」(成立1582年以前)がある。玉虫姫に惚れ込んだ虫たちが次々と玉虫姫に歌を詠み、松虫が心を射とめ、契りを結ぶという話である。しかし、ケンプファーがこの物語から直接引用したのではないことは明らかである。「玉虫の草紙」には、火をとりに行くモティーフはないし、美しい虫は女性である。しかしこの「玉虫の草紙」の諸本は、古今集544「なつ虫の身をいたずらになすこともひとつ思ひによりてなりけり」につけられた註から発生したものと考えられている。顕昭(1139-1209)の註では 夏虫トハ、飛蛾ナリ。投_レ_燭テシヌルヲ身ヲイタヅラニナルトハ云也。世俗ニハ、玉虫ノ、火ヲトリテキタラム虫ニアハムトイヘバ、トリニクトテ燭ニ入テ身ヲホロボスナドイヘリ。タシカノ事ナラネド、此歌ハ其心トキコエタリ。夏虫トハホタルヲモ、セミヲモヨメリ。 ここに玉虫に惚れ、玉虫に火を取ってこいと言われ、燭に飛び込み、身を滅ぼす虫のモティーフがはっきりと見られる。つまり、グリムの美しい虫の物語は、その源をたどれば、顕昭の古今集註(12世紀)にまでさかのぼることができる。 グリムの美しい虫の話と類似のもうひとつの例はユンカー・フォン・ランゲッグが1884年に出した『日本の茶話-扶桑茶話-』にある「ホタル姫の求婚者」という物語である。ホタル姫は、言い寄る虫たちに対し、「まず私に火をもってきなさい。そうしたらあなたの妻になります」と言い、虫たちは身を滅ぼすし、最後にホタルの火太郎が火をもってきて結婚するという話である。この例からみると、明治時代にはまだこのモティーフを含む物語が存在していたことがわかる。 これらのことを合わせると、おそらくは16世紀から17世紀にかけ、御伽草紙として、虫が火に飛び込むモティーフをもった「玉虫の草紙」が存在したのではないかという予想がたてられる。そして、ケンプファーがCourtisane(16〜18世紀の教養を身につけ色香を放つ貴族の愛人)という語を用いていることから考えると、男を主人公とした宮廷を舞台としたもの、すなわち、おそらくは『源氏物語』の影響を強く受けた、男性の玉虫を主人公とした「玉虫の草紙」が存在したのではないかという予想がたつ。 また、顕昭が「世俗ニハ、玉虫ノ、火ヲトリテキタラム虫ニアハムトイヘバ、トリニクトテ燭ニ入テ身ヲホロボスナドイヘリ」と書いていることからみて、12世紀にはこのモティーフを含む何らかの物語が、口伝えされていたことも伺える。とはいえ、ケンプファーの直接の原典はおそらくは口伝えの物語ではなく、男の玉虫を主人公とした御伽草紙の類であり、このモティーフを含む物語は明治以降は忘れられ、また昔話としては現存していないと言える。
著者
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加藤 耕義
学習院大学外国語教育センター
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加藤 耕義
学習院大学外国語教育研究センター教授
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加藤 耕義
学習院大学人文科学研究科博士後期課程、ドイツ文学専攻
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加藤 耕義
学習院大学外国語教育研究センター
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