意識の形式化 : 福永武彦『二十世紀小説論』を中心に
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概要
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福永武彦の『二十世紀小説論』を二つの視点から検討している。一つは「二十世紀小説」においては「意識」を重視することで、時計で計ることができる外部的時間ではなく、内的時間を福永が描こうとしていることである。またそれにより福永の小説方法として「意識の流れ」や「内的独自」という方法を用いることになり、これらが主観的で非連続的であるために、小説形式としては細分化の方向をとるということである。もう一つはこれらの方法ゆえに登場人物の「モノローグ」が多分に使用されることになるが、個人の「意識」に深く降りることで「人間」一般の普遍性を獲得しようとしていた福永が、他者との関係性において「意識」を捉えようと転回したことである。これについては未完に終った『夢の輪』の挫折から『忘却の河』の完成への流れを、「多視点」的小説の語りの方法的転回として見た。またこれらの形式と福永の小説主題が関連していることも指摘している。
- 千葉大学の論文
- 2004-10-01
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