産養と王権 : 誕生儀礼と皇位継承
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概要
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十世紀中期に村上天皇と女御藤原安子との間に誕生した憲平親工に対して、天皇は過分の給物・鰹等のモノや乳母等のヒトを賜与する。誕生から七日間の御湯殿儀、第一日から奇数日に饗宴を張る産養等の産育儀礼が安子の父右大臣師輔の指揮のもとで盛大に行われた。憲平親王は三ヶ月後に東宮に立てられるが、壮年の村上天皇と国母太皇太后穏子によって決定されたのであり、兄朱雀上皇は皇位決定から排除された。国母が皇位継承決定権を保持していたことを如実に見て取ることができる。
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