スタンダールの『恋愛論』(De L'Amour)をめぐって(その一) : スタンダールと『恋愛論』の関係について(上)
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
スタンダールの「恋愛論」は,1819年から1820年ミラノでその大部分が書かれ,1822年パリで出版された。この書物には彼の魂の故郷ともいうべきミラノでの思い出が込められ,多くの研究者はこれをたんなる彼の自己告白の書と理解してきたが,そうした見方ではこの書物の持つ独自の意義は見失われる恐れがある。我々はむしろ,彼の人生,彼の文学の一切を貫く光をこの著作にみとめる。このことは多くの証言から確認しうるばかりでなく,彼の書いた作品自体の点検によっても立証しうるであろう。(1)マチルド・デンボウスキー宛の手紙(2)『恋愛論』の四つの序文(3)最初の小説(4)彼の文学活動と『変愛論』(5)『恋愛論』の重要性《De l'amour》,cette oeurve tres connue de Stendhal fut commencee en decembre 1819,ecrite en grande partie en 1820 a Milan,et publiee en 1822.Il est vrai que ses souvenirs milanais constitue une partie non negligeable de l'oeurve,mais il faut aussi admettre qu'elle est tres importante au point de vue de son activite d'ecrivain.Nous allons considerer sur la valeur de cette oeurve en entrant dans le detail.
- 大阪教育大学の論文
著者
関連論文
- Antoine Rivarol の「フランス語の世界性について」
- 梶井基次郎作『冬の蝿』の仏訳とその考察(下)
- 梶井基次郎作 Kの昇天 或はKの溺死
- フランスのディセルタシォン(dissertation)試験はいかに行われるか?(中)
- フランスのディセルタシオン(dissertation)試験はいかに行われるか? : その受験風景(上)
- フランスにおけるディセルタシオンの歴史
- 『フランスのディセルタションの起源に関する考察』第二報 : ローマ帝政末期より中世にかけての「ディセルタシォン」
- 「出雲国風土記」の国引き神話
- 『にんじん』を読む(四) : その唯一のドラマ(続)
- ジュール・ルナールの『日記』について(5) : ジャン・ジョレスーその3 : 「ジュール・ルナールの政治活動と文学の関わりについて」(第三報)(第I部門)
- ジュール・ルナールの政治活動と文学の関わりについて(第二報)(ジュール・ルナールの『日記』について(4) : ジャン・ジョレスーその2)
- ジュール・ルナールの『日記』について(第3報) : ジャン・ジョレス
- ジュール・ルナールの『日記』について(第2報) : オーギュスト・ロダン(第I部門)
- ジュール・ルナールの『日記』について 第I報
- 『にんじん』を読む(その5)
- 「文学のディセルタシオン」の教育法 -方法論と実践応用-
- フランスのディセルタシォン(dissertation)の起源に関する考察
- 梶尾基次郎作『冬の蝿』の仏訳とその考察(上)
- スタンダールの『恋愛論』(DE L'AMOUR)をめぐって(その一) : スタンダールと『恋愛論』の関係について(中)
- スタンダールの『恋愛論』(De L'Amour)をめぐって(その一) : スタンダールと『恋愛論』の関係について(上)
- 「ミーナ・ドゥ・ヴァンゲル」論 : ミーナはなぜ自殺したか?
- 「知」の収奪 : 世界初の英文日本ガイドブック(4)横浜篇
- 「知」の収奪 : 世界初の英文日本ガイド(3)長崎(続)