中世における「三つの指輪」の寓話、変容の系譜 : Novellino第73話を中心に
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概要
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序-「三つの指輪」の「物語」とその中世における系譜 ときに、何世紀にもわたる時を越え、地域的な広がりを横断し、異なる宗教・文化・言語の世界をいくつもめぐりながら、語りつがれ、書き改められ続ける「物語」がある。そのような「物語」とは、多くの人間に共感・共有されるモチーフの集成であり、おそらく「普遍的な」と形容できる象徴の体系に支えられて、変容を重ねつつ、場合によっては以前含意されていたメッセージを逆転することさえ可能である。変形を被り続ける材料であり、同時に様々な意図・意味を盛られる容器でもある。そういう「物語」の一つに、「三つの指輪」の寓話がある。そのあらすじは、三人(または二人)の息子を持つ父親が、自分のもつすばらしい指輪を誰に相続させるかにのぞんで、それとそっくりのものを別に作らせ、そこで三つ(または二つ)の指輪のどれが本物かという真贋をめぐる争いが生じるというものである。この「物語」は主に、13世紀末成立のNovellino第73話とそこから取材したと思われるDecameron第1日第3話、さらにそれを発展させたLessingの戯曲Nathan der Weise(『賢人ナータン』)中の逸話によって、今日も広く知られている。この三つの作品ではいずれも、「三つの指輪」はユダヤの賢人とエジプトのスルタン、サラジンとの問答の中で、三つの宗教のうちどれが一番正しいかときかれたユダヤ人によって語られる喩え話になっている。ユダヤ・イスラム・キリスト教の三大宗教を指輪に喩える同一の主題は、いくつかの中世のテキストに〓ることができ、Novellinoに到るまでの系譜がすでに知られている。古典的研究として先ずGaston Paris, La parabole des trois anneaux(La poesie du Moyen age, Paris, Librairie Hachette, 1903所収)が挙げられる。これは1884年にParisの行った講演であり、この喩え話を12世紀スペインのユダヤ起源とし、その後の変遷を中世の宗教的テキストからNovellino、さらにBoccaccio、Lessingまで分析する。彼の解釈によれば、この「物語」は、もともと中世のユダヤ教徒の説いた宗教的寛容を主張するテーマであったが、12・13世紀を通じて「キリスト教化」され、「本物の指輪」としての他宗教に対するキリスト教の絶対性を語るための説話と化す。そして、Novellino以降のイタリア語テキストにいたって、新たに宗教に関する「懐疑主義」の表現となる。この先行研究から出発、Boccaccioにおける「懐疑主義」という解釈には反論しつつ、喩え話の変遷を宗教的「寛容主義」、およびヨーロッパにおける中世から近代にかけてのユダヤ人共同体の文化的・社会的歴史に関連づけて追った研究として、M.Penna, La parabola dei tre anelli e la tolleranza nel medio evo, Torino, Rosenberg&Sellier, 1953がある。日本では、林達夫がその著『文藝復興』の中でParisの先行研究を引きながら、この逸話の伝統と異動を「一寓話に反映したる宗教的精神の展開」としてたどっている。原話に関して今日までの研究は概ねParisのユダヤ起源説を支持しているようであり、12世紀にあるスペイン系ユダヤ人が書いたアラビア語テキストに〓れるとされる。ただし、現在まで伝わっているのはSalomon Ibn Vergaによる15世紀のヘブライ語で書かれたSchebet Jehuda中の話である。この作品はラテン語とドイツ語、スペイン語に翻訳された。Novellinoの物語との大きな違いとしては、ここで問題とされる宗教がキリスト教とユダヤ教の二つで、当然喩えの指輪も二つだけであること、また登場する君主はサラジンではなく、キリスト教のアラゴン王ペドロ(在位1094-1104)で、ユダヤ人がEfraim Ben Sancioという名前を有することなどである。異なる宗教の共存が切実な問題であった中世スペインにおいて、イエス・キリストの福音書の多くの譬え話にすでに代表される、豊かな寓話・譬喩の伝統を誇るユダヤ人の文化からこの物語が生まれたとするParisの説は説得的である。ただし、15世紀のテキストの形が、どこまでこの寓話の最古の姿をとどめているのかは、「最もシンプルで、美しく、混じりけがない」形であるという審美的判断のみによって確かめられないことを、ここで改めて確認しておくべきだろう。また、もともとの話しの筋がペドロ王をめぐるもので、12世紀に〓ることができるだろうことと、15世紀のテキストにおけるユダヤ人と君主の対話という枠組みの中に読み取られる宗教に関する寛容の思想およびその表現の子細とは、分けて考えるべきである。加えてDecameronの汎ヨーロッパ的な成功を考慮すると、15世紀のヘブライ語版において、逆にBoccaccioの物語が何らかの影響を与えた可能性も否定できないのではないだろうか。特に後述するように、君主(スルタン)とユダヤ人との問答という「物語」の外枠は、Schebet Jehudaとイタリア語のテキストにのみ見いだされる。
- 1994-10-20
著者
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