イタリアの中のヨーロッパエルメティズモ論序説
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概要
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1問題の所在-エルメティズモ論に向けてTi guardiamo noi, della razzadi chi rimane a terra.(da Falsetto, E.Montale)一見して時代の流れに背を向けているかのように見えながら倫理性に裏うちされた感性への誠実を貫くことによってかえって本質的な時代の象徴たりうる道がある。近代イタリア抒情詩の流れをたどってみるときそれは、<蓬髪派>あるいは<黄昏派>といった意匠を纏って立ちあらわれてくる。そして、一九三〇年代から四〇年代にかけての<エルメティズモ>もまたそうした意匠のひとつである。一九三六年、クローチェの代弁者を装ってフローラが当時の神秘主義的で難解な詩の傾向を指して<錬金術詩>と侮蔑的に命名し的はずれな批判を加えて以来、ともかくもこの意匠はひとり歩きをはじめ、曖昧な認識を抱えたまま今日では文学史的あるいは歴史的事実としてその市民権を獲得してしまったかにみえる。<エルメティズモ><純粋詩><ウンガレッティ・モンターレ・クワジーモド・ルーツィ…>という図式に拠ることで秀れた作品を多数有するが故にエルメティズモは芸術的には生産的であったとする見方がそれである。この見方は同時に、エルメティズモの政治から離れた文学内在論的立場に対するためらいがちな肯定、言い換えれば、この標語に浴びせられてきた逃避の文学というイデオロギー的批難に対するおずおずとした同意を内にふくんでいる。こうしてエルメティズモの認識が抱える問題は、まず第一に、六〇年代後半から七〇年代初頭にかけて起きたエルメティズモ見直しの気運の中で著わされたラマットの労作にも典型的に見られるように、時期区分の問題をも含めてエルメティズモが何でなかったのかという視点が欠落していることである。つまり、エルメティズモを芸術的に評価(擁護)するためにこの意匠の概念を拡張し、ペトルッチァーニのいら早い箴言にもかかわらずモンターレやウンガレッティの詩とルーツィやパッロンキの作品を同列に論ずることで、<新抒情主義>(セッラ)・<純粋詩>・<エルメティズモ>の概念をないまぜにして用いている点である。たとえば、たしかに(純粋詩)がビンニの指摘する通り、カトリシズム・レアリスム・観念論いずれの立場に立つ者をも合意させうる本質的に神秘主義的な概念であるにしても、エルメティズモがその思想的基盤としてフランス象徴主義が詩的言語探求において完全に排除しようとした倫理性を担っていた限り、デカルト的自我の究極の表現という本来的な意味での真の純粋詩には到達しえなかったはずなのだ。つまり、遅れてきた象徴主義運動エルメティズモにとって、シュペルヴィエル、エリュアールがマラルメやヴァレリーの世界を受けて出発し、象徴主義的世界からの脱出ロとして、ある者は物語性や愛を武器に、またある者は無意識的世界の探求を旗印にその倫理性を詩の世界に導入することに成功したようにはゆかなかったのである。おそら<蓬髪派)以来つねに問題とされるイタリア象徴主義とフランス象徴主義の位相のずれに着目しながら、これらの意匠をしっかりと弁別すること、エルメティズモそのものとエルメティズモ的要素とを唆別することが必要だと考えられる。また時期区分の問題についても、少くとも批評の領域に限ってはマリア・コルティがネオ・レアリスムについて用いた方法を援用することによってかなり限定されてくるはずである。もうひとつの問題は、それぞれぬきさしならぬ立場からなされた<プリマート》誌上での批判や戦後のエルメティズモの側からの自己批判に便乗する形で、ファシズムとの対決を避け自己充足的な「文学共和国」(チボーデ)を構築しその中で<フランス)に精神的亡命を企てたというていの「逃避の文学」というエルメティズモに貼られたレッテルが正当なものとして受け入れられしかもこの見方が文化の抑圧装置としてのファシズムという図式に支えられている点である。だがとりわけ後に続くネオ・レアリスムとの対比において際立ってくるエルメティズモの閉鎖性・現実逃避的性格は、一方で未来のネオ・レアリストたち自身もファシスト政府のスペイン内乱介入(一九三六年)を転機としてユートピアとしてのファシズム革命の夢に破れ、その虚無的な閉塞状況からの脱出の糸口をコミユニスムという仮構の神を採択することによって切り開こうとしてゆく過程でいわゆる「アメリカ神話」を例外なくくぐり抜けなければならなかった事実があるとすれば、「翻訳の十年間」と呼ばれる三〇年代の文化情況を同時代にたち返ってつぶさに辿り直す作業を通じて、時代の象徴として浮かび上がってくるだろう。ファシズム下の社会情況や組識から断絶した非歴史的空間、詩というひとつの幻想空間の中に歴史=現実を塗りこめることでより全的に現在を生き抜こうとしたことを批判する以前に
- 1984-03-15
著者
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