ジョリッティ主義とマッシマリズモの終焉(一) : 第一次大戦直後期のイタリア政治の問題
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概要
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日本では、イタリア・ファシズムが研究の対象として取り上げられることが意外に少ない。多くの場合、ファシズムは、ナチズムの別名であるか、さもなければ、一九二〇年代から四〇年代にかけて猛威を振るった暴力的な独裁政治形態の総称である。西欧文明の病める姿なのか、後進国の歴史に内在した矛盾の必然の展開なのか、それともブルジョア階級支配の行きつく最終局面なのか、という議論は、いつでも、さまざまのファシズム形態を基本的に等質的なものと見なす前提のうえに立って-そしてその典型をほとんど例外なくナチスのヒトラー支配に見て-おこなわれてきたように思われる。ファッショ運動の創始者としてのムッソリーニの名は、あまりにも広く知られているが、その思想と行動が一貫して学問的に説明されたことはないようである。しかし、あまりにもファシズムの一般概念にかたよりすぎると、その歴史的で具体的な内容が捨象され、言葉が濫発されればされるほど、ファシズムのイメージは何となくぼやけて行く。事実、ナチズムとファシズムの同一視についてはさておき、戦前の日本の軍部支配も、フランコやサラザールの体制も、ペロン主義も、さらにはマッカーシズム、ドゴール体制、ナセルのエジプト、現在行なわれているギリシャの軍事独裁等々がすべてファシズムと呼ばれるとしたら、何が何だか分らなくなるのは当然である。ファシズムの問題をもう一度とらえなおさねばならない時期が来ている。単一の政治概念としての、いわば大文字で始まるファシズムFascismoだけでなくて、歴史的で具体的な諸ファシズムfascismiを、その現実の姿に密着して、分析する必要がある。
- 1972-01-20
著者
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