ニッコロ・マキァヴェッリの最初の書簡について
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概要
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私がここで論じようとする書簡は、一四九八年三月九日付、リッチャルド・ベッキ宛のものであるから、正確に言えば、「最初の」書簡ではない。マキァヴェッリの全集では、この書簡の前に、二通が収録されている。けれども、第一の一四九七年十二月一日付のラテン語の手紙は完全なものでなく、断片であり、だれにあてたものかもはっきりしていないし、第二の同年十二月二日付の書簡は、枢機卿ロペス宛の儀礼的なもので、それもニッコロ個人の署名ではなく、マキァヴェッリ家の全家族が差出人になっている。したがって、内容的に見て、一四九八年三月九日付の書簡を、マキァヴェッリの最初の書簡と呼んでも、差しつかえないと思う。この年、マキァヴェッリはすでに二十八才である。周知のとおり、かれの青少年期については、多くの研究者の努力にもかかわらずまったく資料が欠けており、後年の著作に出てくるわずかばかりの回想から推測する以外に、かれの思想や人間の形成過程を、具体的に知るすべはないのである。事実、この最初の書簡のなかで、私たちはすでに個性の確立した政論家としてのマキァヴェリに、突然出くわすわけである。当然のことかも知れないが、その未知の前半生のあいだに、かれの性格はすでにすっかりできあがっていたのである。自分の思想は、古代の歴史の耽読と、現代の現実の長い経験とをあわせて得られたものだと、後年かれは述懐するが、二十八才のニッコロはすでに、卓抜な知性と鋭敏な観察眼とを身につけている。この書簡の内容は、ジロラーモ・サヴォナローラの説教の分析と評価にあるのだが、フィレンツェ市民を熱狂させ、涕泣させたという、あの雄弁な宗教改革者が、自己の勢力と権威の失墜を目前にして、必死に市民と信者を説得しようとする努力を、マキァヴェッリは冷然と、客観的に観察するのである。前半生についての資料がほとんど欠落している以上、マキァヴェッリの伝記的研究のなかでは、この書簡が出発点となるはずだし、またその内容が、サヴォナローラという巨大な対象と、かれをめぐるアクチュアルな政治問題に、正面から立ちむかったものであるからには、マキァヴェリズム研究においても、出発点となるはずである。
- 1969-01-20
著者
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