明治29年〜36年における日本赤十字社の準備看護人養成と卒業後の動向 : 近代看護史のなかの男性看護者(3)
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概要
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日本赤十字社は, 日清戦争の救護経験から男性看護要員(準備看護人)を本社や支部で養成し戦時に備えることにした。養成期間は10カ月で, 前期5カ月は本社病院や支部養成所(あるいは依託した公私立病院, 陸軍衛戍病院)で看護法や包帯法など学科の教授が行われ, 後期5カ月は陸軍衛戍病院での実務教習が行われた。戦争が起きた場合, 準備看護人には戦地で患者輸送など軍衛生部門を幇助することが求められたため, 生徒には軍の規律や風紀を守ることが厳しく教えられた。卒業後の準備看護人の動向は, 救護法の復習や現況調査のための点呼召集への応召や, 陸軍行事への救護参加, 災害救護への参加, 日赤関連行事への参加, 磨工資格や医術開業免許の取得, 精神病院への就職, などであった。準備看護人生徒の中には, 行政機関の衛生事務などへの就職斡旋を日赤指導層に要望する者もいたが, 日赤は看護婦外勤部の開設のような就職斡旋事業を準備看護人に対しては行わなかった。
- 日本赤十字看護大学の論文
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