寛永十一年仙洞能をめぐって : <関寺小町>事件
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概要
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能楽史における著名な出来事である、寛永十一年(一六三四)九月、後水野尾院仙洞御所で催された所謂仙洞能は、東福門院和子の申沙汰によって開催されたものであることを初めて確認し、その資料として用いた、日野資勝の日記の記事を検討して、仙洞能をめぐる状況を確認した。併せて、仙洞能後の禁中能の開催にいたる事情を確認した。また、その催しの中で特に注目された北七大夫の能<関寺小町>について、表章氏、竹本幹夫氏が扱われた資料を再吟味し、囃子が重視されていた秘曲なのに、特に笛方が急遽若い役者に交代するにいたった事情を確認した。後水野尾院側ではこの催し(<関寺小町>を含んで)に満足していたらしいのに、江戸幕府の側で、その出来を公的に問題とし、七大夫たちを譴責したのは、後水野尾院に対する優位を誇示したい将軍家光側の政策に基づくものであったことを指摘した。
- 文教大学の論文
- 2004-09-01
著者
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