新しい倫理学のために(3)
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概要
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前稿では、人間の生まれという唯一無比の事実から、人間に共通の大目的があるかないか、あるとすればそれは何か、との探求に論を進める段階に到達していた。その始めのステップとして私は、人間の誕生という出来事をどう見るか、考えられる三つのタイプの解釈を検討した。人間という生物はいかなる生命を生きるのか?この問いに、どのような文脈をもつ言語を用いて答えるかは、「<善く生きる>とは何か」の答えを左右することである。この稿では伝統的な<魂-身体>という二元論言語による説明を検討したい。プラトンによってかなりの説得力をもった体系にまで仕上げられたこのタイプの説明は、現在に至るまで多くの宗教的そして哲学的思考のうちに、ある思考の型として引き継がれているように思われる。しかも、臨死体験と言われる経験の集積から科学的に、人間の中には身体とは別の要素が死後も存続することを立証しようとの動きも近年は目立っている。そうした動きもこの<魂-身体>の二元論言語を補強していると思われる。
- 熊本大学の論文
- 1993-01-31
著者
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